高尾山

高尾山が、”ミシュラン”の三つ星観光地になっていたなんて、
先日、早稲田のホテルで友人に聞くまで、ちっとも知らなかったわたしです。

……じつは、同市在住です。
でも、住んで20数年、高尾山へ行ってみようとは思い立ちませんでした。
地元なだけに、
都心から自然を求めてやってくる人々(そのほとんどは、退職者年齢の中高年グループ。女性が大半)が、
よい季節ごとにどれほど群れをなして訪れるか、身にしみて知っているので。

夏の山頂ビアガーデンも、地元民だと、観光的付加価値のためにそこまで行く気になれないのです。

ところが、今回、
『名山の日本史』(高橋千劔破著)を読んだら、
高尾山って尊敬できる!と思ってしまったのでした。

『名山の日本史』とその続編『名山の文化史』を読んだところ、
全国各地の名だたる山で、
明治政府の神仏分離政策を、これほど柔軟かつしぶとく切り抜けた存在は、
かなりめずらしいのです。

徳川将軍のおひざもとに位置したことが、なにかと有利に働いているという気はします。

直轄領のせいで、農民が農民と頭から抑えられないプライドを生む土地柄ができ、
おとなりの日野あたりから、新選組の土方歳三や沖田総司が出たことと、
どこかにつながりがあるのを感じます。

しかし、人混みが苦手なわたしは、
こんなにさかんな観光地には近づけないと思っていたのですが、
今回、誘ってくれる人がいて、
若葉祭りイベントの間隙をぬう、GW明けの7日に、始発に近いケーブルカーで登ってみました。

ねらいたがわず。
信じられないほど、来る人が少なかったです。
もっとも、1時間ほどかけて薬王院におまいりしてきて、リフトで下っても、
ふもとの売店で、おまんじゅうが蒸かしきれていない時刻だったので、
観光地気分まんきつを望む人にはお勧めしませんが。

でも、耳をふさがれたように感じる静寂の中で響く小鳥の声を、
たかだか標高500㍍ほどの東京都内の山で味わいましたよ。そして、
下りは、たぶんリフトに限ります。
地平に広がる、関東平野の絶景のながめ。

| | Comments (2)

CMようこ=KANNO YOKO

CDアルバム、買っちゃいました。

すごーい、画期的。ご本人フォトジャケットだ!
配信で買わなくてよかった!

しかし、われながらオソロシイと思ったのは、
所収のCMソング('98~'07 TV-CM)、
TVから流れるのを、ほとんど聞いたことがなかったことです。
グランドファンクのサイトでは、1曲聞いたけれど……
かろうじて、デンコちゃんは、どこかにおぼえがあるかな?
もう10年以上、
民放TVは、週に1時間つけていれば長いほうだったから、
もっとも知らない分野はTVコマーシャルなんです。

でも、こうしてまとめて聞くと、
ああ、菅野さんだなー、という感じがしますね。
O.S.T.と同じで、広大な場所に散りばめた、感覚、感情の、遊び。
自分を消すことで、かえって浮き上がってくる個性の豊かさ。

| | Comments (1)

緑したたる

『図説世界女神大全』(アン・バリン、ジュールズ・キャシュフォード著 原書房)という、ぶあつい上下巻の本を、
がんばって読んでみました。

邦題にちょっと問題ありだと思ったのは、
世界じゃない……エジプトから中東までの範囲をふくんだヨーロッパ限定です。
もちろん、原題には「世界」などとついていません。
インドの女神すら扱っていない。

ただし、
そのぶん詳細で、
新石器時代の発掘物に見る女神の石像からはじめて、
図版を多く掲げ、
ヨーロッパにつちかわれた女神信仰の長さと、
女性原理を廃し、女性の地位をくつがえして台頭した、
マルドゥク英雄神、類似の男神、
その流れをくむユダヤ教・キリスト教の至高神の信仰が、
「たかだか4千年」だということが、
これでもかとていねいに解き明かされています。

読むのが大変だったけれど、おもしろかったなあ。
日本人のわたしには、
母なるもの=自然を、徹底的に排除して精神基盤に強度を作ろうとした、
キリスト教文化に一定の距離が感じられて、
そう感じることもおもしろかったです。

この本に続けて『名山の日本史』(高橋千劔破著・河出書房新社)を読んだのですが、
出てくる名山のことごとく、
明治維新時の神仏分離で、
それまで続けてきた山の文化が、一変しているんですね。
山岳宗教のほとんどは、
神仏習合の歴史の中で伝えられてきたからなのです。
信仰登山のある山々が、長きにわたってはぐくんできた、
有形無形の文化がこのときに消えてしまっている。

われわれの国は、欧米文化に目を開く一方で、
国家神道の整備にあたり、仏教色をいっさいぬぐい去った神を祀ることになりました。
格づけとして、多くの場所で、
「古事記」「日本書紀」に名をもつ神が前面にかかげられました。
この強制的なクリーニングがあったために、
民衆のもつ素朴な信仰心が、根を洗われて、薄められてしまったような気がします。

花の季節、緑したたる季節、
ごくふつうの市民でも、山へ行ってみたくなる思いを
わたしたちは、「行楽」としか呼べないけれど、
江戸期以前の人々は、さらにちがう心境で登ることができたのだな…と、
しんみり思いました。
もとにはもどらないだろうし、もどせと言うつもりもないけれど、
見失ってしまった何かなのだな……

| | Comments (2)

都の西北で

大学時代からの友人と、3人で、
早稲田大学の大隈庭園が借景となる某ホテルに一泊してきました。
もう、2度めだけれど、
今の季節、庭園の新緑がすがすがしいものでした。
寝室の他にリビングの一室がある、セミスイート+ガーデンビューのお部屋がとれたところ、
お値段以上に快適だったと思います。

ホテルへ行った日は、平常授業の日だったため、
4月当初の意気込みがまだまだ減退していない学生さんが、
通りに満ちあふれて列をなしているのを、
シャトルバスからながめて、しみじみしました。

早稲田の学生というのは、やたらに人数が多すぎて、
自分が浜辺の砂の一つぶでしかないと、痛いほどに感じてしまい、
へこんだ当初を思い返します。
それは事実だったので、早くに知ったほうが賢明だったのでしょうけれど。

それから、
2年生、3年生のころに、
高田馬場駅から早稲田行きのバスに乗りながら、
「自分はまだ、モラトリアムの中にいるのだ」と、
何度も何度もかみしめたことを思い出しました。
そのくらい、将来の見通しが不透明で不安で、
五里霧中だと感じていたのでした。

でも、
なるようになる←→なるようにしかならない
分岐点が山ほどあるようにも見えるけれども、ふり返ってみれば、
本当は、それしかないだろう、という道筋をたどるのが人生だよね…
というような気もします。

付近の道を流れゆく学生の、半数が女子学生で、
ふつうの街角と同じ程度に、自然にファッショナブルなことが、
信じてもらえないだろうけれど、感銘をうける思いだったです。
四半世紀まえはねー、
大隈銅像のある本部キャンパスを流れる学生の群れは、
ほぼ男子学生しか目につかなくて、
しかも、薄汚い印象だったのですよ。

バンカラな伝統と言われる都立高校から来た、このわたしが、
純にそう思ったほどに、全体があか抜けなかったですよ。
とんでもないところに来てしまったなーと、思いました。
高田馬場から早稲田までの通りの飲食店は、
ほぼすべて、「安い、早い、量で勝負」の男子相手の定食屋風であり、
女子が肩身せまく思わずに入れるような、
こじゃれた場所は用意されていない時代でした。
隔世の感というのは、こういうことですね。

| | Comments (2)

新刊のこと

誕生日にお祝いコメントをいただき、どうもありがとうございました。

22日は、
おとなしくしていようと言いながら、
ゲラ(校正用試し刷り)のもどし日だったもので、
編集氏と会っていました。

打ち合わせが終わった後、
近場で一番好きなレストランでごはんを食べました。
タケノコの穂先の一皿がおいしかった。オマール海老も。

さて
新刊は、7月上旬の刊行予定になるようです。

タイトルは、
『RDG レッドデータガール』
で、落ち着くかと……

和ファンタジーですが、
過去へも異世界へも行きません。
現在(やや未来)の、中3の少年少女のお話です。
題名も、このようにヘンですが、
今までのわたしの作品にはなかったような話かも。

| | Comments (17)

冥王星

ときどき思い出したように、
西洋占星術のホロスコープ(天体配置図)にはまるのですが。

冥王星が惑星からはずされて以来、
このことを占星術ではどう解釈するのだろうと思っていました。
冥王星の意味は、かなり大きく重かったので。

最近になって、新しい本を読んだら、
その占星術師は、
「ホロスコープでは、太陽も月も惑星と同じ扱いになるくらいだから、
今さら、冥王星が惑星でなくなろうと大きな変わりはない。
むしろ、冥王星は惑星でないほうが、意義がはっきりする。
太陽にとらわれない、太陽系外からくるものを運ぶ星だから」
……と、のべていて、そう来たかと感心しました。
今後、冥王星級の準惑星をさらにいくつか取り入れて、
外宇宙の影響にもっと目を向けるほうが、好ましいくらいだそうです。

占星術の冥王星は、常識的な限界を打ち破ってしまう星。
破壊にしろ、再生にしろ、星の影響をうけると深刻そうです。
ドラマチックではありますが、やりなおしがきかない。

昨日今日、ホロスコープ上で、
太陽と土星と冥王星が、牡牛座と乙女座と山羊座に120度の角度で位置する、
グランドトライン(大三角)ができているそうです。
これ、わたしの出生図の同じ位置に、
土星と冥王星が入れ替わった形で、あるんですけど。
どういう影響がくるでしょうかね。

なんとなく、おとなしくしていたほうがよさそうだと思ったりして。
誕生日ではあるんですが。

| | Comments (11)

愛書探訪1

「中学生3人組が大活躍」

4月19日読売新聞夕刊の、
週刊KODOMO新聞ライブラリーに、
フィリップ・ターナー著『ハイ・フォースの地主屋敷』の紹介をのせました。

この本、大好きだったのは事実ですが、
しょっぱなに取り上げた理由は、たんに、
自分が本屋で見かけて、買ったばっかりだったから(笑)。
昨年10月に、岩波書店がめずらしく重版したもようで。

読売の担当氏が、
「復刊ドットコム」で見かけました、と、言っていましたが、
それは知りませんでした。
買うとしたら、今のうちですよ。

『シェパートン大佐の時計』の続編でもあって、
同じ3人組が、小学生のときに活躍するのがそちらの話で、
『シェパートン…』もたいへんおもしろいし、
そちらから読み進めるほうが、わかりやすい面があるのですが、
この話はまたこの話で、捨てがたいのでした。

有名なのは第一作のほうだけど、
カーネギー賞は『ハイ・フォース…』でとっているんです。
どちらであっても、
イギリスの郷土臭にあふれた話で、
イギリス児童文学の持ち味がわかるような話だと思います。

| | Comments (0)

同窓会

週末に、高1クラスの女子同窓会があって、行ってきました。
女子の会だったけれど、二次会以降には男子も5,6名参加してくれました。
本当は去年、学年全体の同窓会があったのに、わたしは都合で行けなかったのです。
卒業以来30年会ったことのない人たちと、ようやく再会しました。
いろいろと感慨深くて、いまだに自分内部で整理できない感じ。

思いがけなかったのは、
このブログを見ていると言ってくれた人が、複数いたことです。
30年、ぜんぜん会っていないのに、
入院とかしていたんだね、大丈夫? と言ってもらって、感激しました。
本当にどうもありがとう。
ブログを書いていてよかったと思ったのは、これが初めてでした。

去年、おととしあたりから、
小学校のクラスでも、中学のブラスバンド部でも、たてつづけに同窓会があって、
そういう時期なんだ……という思いもあります。

じつは、ブログには書かなかったのですが、
昨年の3月で、わたしは勤めを辞めました。
そのことを、小・中・高、過去のクラスメートみんなに話している自分に気づいて、
ああ、人生って、そういうまわりあわせになるものなのだ…と、実感している感じです。

最初の執筆活動を始めるにあたって、わたしの信念は、
「けっして創作を自分の生活の糧にはしない」というものでした。
そのために、就くことにした職業でした。
ジョーン・エイキンの『子どもの本の書き方』に、100%影響を受けていました。

これを曲げることは一生あるまいと、わりと本気で信じていたんですね。
だから、退職したことは、挫折の気分を味わうことでもあるのですが。
菅野よう子さんとかは、
「現状に生まれてきたひずみを、ひずみと認めることのほうが、
よっぽど勇気を必要とするふるまいだ」ということを言ってくれたし、
その方向で、
自分を立て直そうと思っているのでありました。

これって、じつは、
辞めてから5年はだまっていようと思ったことなのですが、
旧友と再会して、考えなおしたというところです。
いろいろありますよね、人生には。

| | Comments (3)

風味

山に自生している山菜は、
どうしてこんなにと思うくらい、食べると香りがします。
採ったその場で料理しているせいもあるけれど。

タラの芽というのは、はえているのを見るとよくわかるけれど、
そう、たくさんは採れない。
ろくに枝分かれせず、ひょろっと伸びた木の、天を向いた先端だけ、
芽がついています。
一度折りとっても再び芽が出るけれど、ニ度だけで、
その芽すら摘んでしまうと、木が枯れるそうです。

スーパーで、手ごろな値段で天ぷらを売っているのを見かけるし、
生のものも、八百屋でパックで見かけるけれど、
それらは栽培したものだそうで。
たしかに、揚げてしまうと風味はあまりありません。
でも、
山のものだと、揚げてもはっきりわかるんです。
芽のもとの部分のほっくりした食感や、ごくかすかなえぐみのある風味。
ウドもフキもクレソンも同じく、独特な香りの強さに驚きます。

最近は山菜採りも流行っているから、
行っても、他の人に採られてしまっていることもあるので、
見つけた気分は格別。数個だけ摘んで、
大切に食べる気分も格別です。
残しておくことを考えながら、山菜を採ったりお魚を獲ったりしていると、
縄文人のような敬虔な気持ちになります。

わが家から、車で二時間足らずの山中なのだけど、
家のまわりではすっかり散った桜が、一輪も咲かず、
梅の花の満開時だったのには驚きました。
まさか、梅の香が楽しめるとは思わなかった。
カタクリの花もいっぱい咲いていました。
まだフキノトウが摘めて、フキノトウも天ぷらにしましたよ。

| | Comments (0)

ドリトル先生

MOEインタビューで、本との出会いを語った中に、
「小学3年のときに、ドリトル先生シリーズ12巻を読破して……」
と、口にしたことが載っているのを読んで、
ちょっと口幅ったいなー、「ナルニア国物語」や「指輪物語」に比べて、一部しか再読していないしなー……
と、考えていました。

当時の小学校の図書室に、12巻まとめて入ったばっかりの、
ほとんどだれも手をつけていない、ピカピカの単行本で、
うれしくて、
週1回2冊しか借りられない規則だったので、
2冊ずつ読んでいったのです。
みんなに薦めたわけではなかったのに、クラスの女の子が4,5人、
追いかけて読むようになって、ちょっとしたブームになって、
内心びっくりしたのを憶えています。

そのわりに、本の内容は、あまり記憶にのこっていないみたいで。
『ドリトル先生航海記』が家にある名作全集に入っていて、
何度か読んで親しんでいたからこそ、はりきって12巻攻略にかかったものですが、
『ドリトル先生月へ行く』の、月旅行は、
当時であっても、コートームケイだなと思っていたっけ……
ただ、『ドリトル先生と緑のカナリア』(シリーズで一番分厚い)は、
あとで気になって再読しました。毛色が違うんです。

井伏鱒二が訳したこのシリーズ。
戦前に依頼したのは石井桃子さんで、第1巻の下訳をしたのも石井さんで、
『クマのプーさん』とともに、彼女が最初期に出会い、
日本の子どもたちに読んでほしいと思った本だったことを、
ここであらためて知りました。

ドリトル先生とは、作者のヒュー・ロフティングが、
第一次世界大戦中、
戦地から家族へ書き送ったお話の中で生まれた主人公です。
石井さんが、第二次大戦中に疎開して農業をしながら綴ったという、
『ノンちゃん雲に乗る』と思い合わせると、感慨深いものがあります。

戦時下という、挙国一致のパラノイアが幅をきかせる時に、
一歩離れて、現実の別の面を受けとることのできる
リベラルな精神、というか。

| | Comments (2)

«月刊MOE5月号